vol.40 「ふるさと」
ようやく40回目。
今回は、少し大げさなタイトル。
そんなに大それた事は書けません。
何気なく付いてしまったタイトル。読まれる方の期待は禁物です。
4日(土)夕刻。
私は実家のある東京日野市へ向かいました。
目的は、たまたま重なったのですが、弟の見舞いと、数年ぶりに行く友人の墓参り。
小学校以来の友人数人と、夕刻遅く埼玉県内のお寺へ集合。
今思うのは、なぜか皆、旧友に会いたくなっているような気がします。
そういえば、この日、私も車で関越を走っている最中、久しぶりに、博多在住の大学の同級生に電話。
たあいない話をしながら、集まれる者で20年以上ぶりの同窓会をしないかという話に。
もう一つありました。1ヶ月程前ですが、高校時代の友人からもTEL。「何かやらないか。」と。
これは私なりの少し大げさな解釈ですが・・・
自分も含め、皆、旧友の安否確認をしたくなっているのでは?
理由は? やはり震災を目の当たりにした事による不安、人恋しさか。
この日夜は久しぶりに友人たちと食事。そして実家に宿泊。
翌5日(日)は、父母と共に弟の見舞いに。
偶然ですが、弟も足をケガし入院。先週手術を受けていました。経過は良好、元気でした。
談話室に実家の家族4人がそろいました。
おかしかったのは、自分と弟は足に包帯姿。
4人がテーブルを囲むのはいつ以来か、わかりません。
こちらもたあいない話の後、父母を実家に送り、帰路へ向かいました。
と、ここで何故か、自分が生まれ育った頃の元々の実家のあったところへ廻ってみました。そこは・・・
道路が拡幅され、上部には多摩都市モノレールが通っています。
ちょうど、この写真のモノレールの真下あたりに実家がありました。
わかってはいるものの、おもかげは全くありません。
子どもの頃、未来を予想して書いた絵に、都市をぬうように走るモノレールのこんな絵を描いていたような。
良く遊んだ多摩川も見にいってきました。
この写真は昔は架かっていなかった新しい橋の上から。
変わったのは周囲に高いマンションができている事。
変わっていないのは緑あふれる雄大な流れ。
ついでにJR日野駅にも立ち寄り。
国道20号/甲州街道が貫く中央線日野駅もずいぶんと変貌をとげています。
ふるさとの地をまじまじと見る事も久しぶりでしたが、時間の流れを改めて感じた瞬間でした。
「ふるさと」という言葉も、普段あまり使わず少し照れくさい響き。
ですが、震災以後、最近は結構聞いていました。
被災しふるさとを失った人。変わり果てたふるさとの地。
旧友との伏線も合わせ、自分の行動にも影響を与えていたのかもしれません。
最近テレビからも良く耳にする うさぎ追いし~ の歌 「ふるさと」
今週から所属するコーラス部「コールちぐさ」の老人福祉施設への敬愛訪問。
その中での楽曲にも選曲されていました。
自分にはこの曲はいろいろな映像が浮かび、少し歌いにくい気が。
心の揺れを止められればいいのですが・・・頑張ります。
(飯島でした。)
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