vol.61 「母校」

2011年09月23日  COMMENT 0  TRACKBACK 0

9月23日(金)秋分の日

日本列島各地に豪雨と強風で災害をもたらした台風15号が駆け抜けて行きました。
秋雨前線と一体となり、名古屋や東京など、大都市で甚大な被害が発生し、
整備され、便利なはずの都市に潜む弱点が露呈した格好になりました。
角屋工業でも緊急時に備えていましたが、幸い、本社所在地の沼田では、被害の発生はありませんでした。

昨日は台風一過というような晴天にはなりませんでしたが、
街なかで建設中の上之町会館の建て方が始まりました。

上之町会館 店舗棟.jpg
空には雲が多く、雨交じりの建て方で、緊張の作業です。
上之町会館は、2棟の建物で構成され、この建物が店舗・賃貸住居の複合施設になります。
来週からは、この隣に会館棟の建て方が始まり、29日(木)大安に、2棟併せて上棟式を行なう予定です。


さて、話しは少し遡りますが、17日(土)の事を少し・・・。
邑楽町での見学会の日でしたが、この日、私は休みをもらい東京へ。

目的は、法政大学時代の旧友と28年ぶりのクラス会。
法学部法律学科で、第2外国語にフランス語を専攻し、体育会系も含めたオール男子という異色のクラス。
在学中、妙に仲が良く、4年間通し、遊び・サークル・ゼミ・酒・スポーツ・アルバイト・授業など、
常に顔を合わせていましたが、卒業後は皆、それぞれの地へ。

きっかけは、6月のある日、(まだ私が火傷に苦しんでいた頃)、福岡の旧友へ電話をした事から。
9月の連休に母校で会おう!という事になり、連絡が付くものへの伝言やメール等でこの日の実現となりました。

クラス会の第一部は、午後の神宮球場!
神宮球場1.jpg
法政×明治 ここには、6人の旧友が集まりました。
法政×明治.jpg
在校時以来の実に30年ぶりぐらいの六大学野球観戦。
席も1塁側内野席の応援団席の隣にし、久しぶりに母校を身近に感じました。
法政大学応援団.jpg
応援団の指揮の下、在校の後輩やらOBなど統率のとれた応援で、試合の方も1点を争う打撃戦に!
HOSEIチアリーディング.jpg
チアリーダーも試合を花を添え、白熱の試合に盛り上がります!
法政大学校歌1.jpg
そして、迎えた7回の攻撃!神宮の六大学野球に昔からある暗黙のルール。
7回の攻撃に入る際、攻撃するチームの校歌を応援席で歌い、
相手方チームの応援席はこの間、静かに聞き、一切自チームの応援をしない。
法政の旗の下.jpg

昔から変わらぬこのルールに大満足し、母校校歌を応援席一体で歌いました。
特に自分は、付属校から数え、この「♪わかぁ~き、われらの~♪い~のちの~かぎり~!」の校歌は7年も歌い続け、体にしみこんでいるので、忘れませんね。

試合の方は最終回に逆転され、残念ながら9×8で明治に逆転負けしましたが、
HOSEIスピリットを思い起こさせてくれた時間でした。

試合後、市ヶ谷キャンパスへ行ってみる事に。

市ヶ谷駅から見た法政大学.jpg
このホームから見えるお堀端の右の高層ビルが法政大学。
在校時代にはなかった、もはやビルになっています。
法政大学市ヶ谷キャンパス.jpg
28年ぶりのキャンパスは、昔よりきれいになっています。
正面に見えるガラス張りの校舎は、通称58年館。
教室の他に、学食や生協もあった、最も思い入れのある校舎があったのは良かったです。
写真のこの4人は、博多、甲府、沼田(自分)、浜松から今日の会にやってきました。

それにしても、警備に人に何の不信感をもたれず、キャンパスに入れたので、
法政らしい自由で開放的な空気を今も感じました。



そして、良く授業で使った一番大きな511教室を発見し、中へ入ってみると真っ暗でしたが、
スイッチを探し照明をつけると、そこはまさにタイムスリップしたように、昔のままの教室でした。
授業以外にもこの教室は、学祭時、夜間、酔っ払ってしまった人を応援団が収容していた不思議な部屋。

法政大学511教室にて.jpg
そんな511教室で、記念の1枚。
はたから見ればただのおっさんの集合写真ですが、
写真の9人の心は二十歳頃の気持ちになっていたのでは・・・。

この後、懐かしの神楽坂で酒を酌み交わしたのですが、
参加した12人には、とても時間が早く過ぎていき、
母校がつないでいてくれている縁にお酒が進みました。


母校・・・

なぜか、母の字がついています。

船にも母船という言葉があるし・・・、母なる海なんていう言葉もありますね。


やっぱり、いつになっても戻ってくる場所であったり、

どんな時でも癒し、包んでくれる・・・

そんなところに「母」の字が使われているようです。

そういえば、住宅にもいくつか「母」の字がつくものがあります。
 

母屋[1].jpg
母屋(もや) は、屋根の勾配を作る垂木を支える大事な構造材です。

又、少し字が違いますが、「母家(おもや)」 と書くと、
一つの敷地に何棟か家が建ち、家族で住んでいる時、主となる両親の家などをこう呼びます。

決して「父家」とは言わず、「母家」なんですね。

まさに、母の力!大ですね。

ホビースタイルオーナーの家が20~30年先に 「母家」 って呼ばれたらうれしいですね。


P.S.今回の法政クラス会は、母なる母校と、旧友に接し、時間がリセットできたように感じます。
    年齢的にもたくさん悩みを抱える同期ですが、
    今回の再会で皆、自分自身が励まされたような気がします。

    これから又、今回得たエネルギーをみなさんにお届けしたいと思います。
    更新が少ないという声をいただいている「せんむのめせん」も頑張ります!

                                                        (飯島でした。)


 

 

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